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「串田和美総監督と最後にみんなで話しあう会」

どうもこんにちは。タナカラ&松本経済新聞の山口です。

今年の春はずいぶん勢いよくやってきましたね。松本城の桜の開花も独自観測を始めて以来最速の3月24日。予想を上回る早さで、開花宣言の取材、行けませんでした…。

そんなこんなで年度末もあっという間に過ぎ、新年度。終わる、始まる、変わることがいろいろありますが、松本にとって一つのトピックス、串田さんのことを、松経の記事と共に振り返りたいと思います。

3月30日、まつもと市民芸術館の主ホールステージ上で、「串田和美総監督と最後にみんなで話しあう会」が行われました。

松本で「串田和美総監督と最後にみんなで話しあう会」 町と劇場、思い託す(松本経済新聞)

串田さんを囲むようにステージ上に設けられた参加者の席。ピアノと管楽器の生演奏と歌。一緒に登壇した相手は、芸術館建設時のときに起こった建設反対の市民運動の代表だった西村忠彦さん。芸術監督から総監督、20年勤めた職を離れる前のイベントとして、何だかとても串田さんらしいな、と思いました。

私が松本に来たのは2005年の秋で、その時は既に芸術館は当たり前のようにあり、建設当初、反対運動があったということは後に聞いてはいましたが、あまり実感が得られないものでした。芸術館に足を運べば、目にするのはその場を楽しんでいる人なわけで、そこに反対運動の面影はありませんでした。

松本で公共劇場と芸術監督の役割考えるシンポジウム 各地の芸術監督招き(松本経済新聞)

昨夏、地域における公共劇場の存在と役割について考える連続シンポジウムの取材で反対運動の話を聞いて、「どうやら想像以上に反対運動は激しかったのかもしれない」と感じたのですが、「話しあう会」でますますその思いは強くなりました。と当時に、今、松本の町に溶け込むように存在していることが奇跡のような、こうなるまでにどれほど面倒なことや葛藤があったのだろう…と思いました。

「芸術」と「公共」というのは、相反する関係ではないのに、水と油のように容易く混じり合わない、ような気がします。結構頑張って泡だて器でかき回さないと分離してしまう。でもしっかり混ざるとおいしいドレッシングができるのですよね。

串田和美総監督と最後にみんなで話しあう会会場の外には皆から寄せられたメッセージが

大歌舞伎の登城行列では、「監督」と呼ばれて手を振る姿が記憶にに残っています。信毎メディアガーデンの建設予定地や、旧幸町保育園など、非日常感が増す空間でのお芝居も面白かったです。

そして、コロナ禍、あがたの森公園の東屋で上演した一人芝居で演者、表現者としての串田さんを遅ればせながら、意識しました。松経では、町の中で展開されるイベントに関連した取材がメインだったこともあり、私の中では「串田さん=監督」の印象が強かったのです。

コロナ禍の「街の文化芸術」~串田和美さん、あがたの森公園で独演(松本経済新聞)

2月に芸術館で上演された、串田さんが「博士」を演じた「博士の愛した数式」、観たかったな…(行けなかった…)。監督職を離れても、演出家、そして役者の串田さんとは、きっと松本でもお会いできるはず…!それを楽しみにしたいと思います。

「話しあう会」では、後任が決まっていないことが心残りと言っていた串田さん。「松本は、松本の外の人から見ると、文化的でうらやましい、憧れの町。そう思われていることに気付いて、その期待に応えていってほしい」という言葉。串田さんが築いたものを、私たちは残していけるのだろうか。「松本いいよね」って思えるような町として何ができるのだろうか。そう思いながら、客席を上がって退場していく串田さんを見送りました。

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